子どもが主役の幼稚園 子どもが主役の幼稚園

2025年5月の聖書のことば

野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。

マタイによる福音書6章28節(新約聖書 10ページ)

 

 この春も徳育幼稚園の園庭では、桜や藤を初め、きれいな花がたくさん咲きました。子どもたちが登園してくるのを待つようにかがやいています。

 イエス・キリストは「野の花」を「注意して見なさい」と言うその直前に、「なぜ、衣服のことで思い悩むのか」と問いかけがあり、続いて「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」と言われるのです。植物の成長の仕組みを見なさいと言っているのではありません。

 イエスは「衣服」をはじめ日常生活のわずらいに悩まされる私たちの目を「野の花」に向けさせます。「働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる(28-29)

 ソロモンは紀元前10世紀のイスラエルの偉大な王でした。「ソロモンの栄華」と言われるほどの当時の世界で最も豪華な繁栄を誇っていました。しかしそのソロモンも、「この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」と言われるのです。

 カトリックのシスター渡辺和子さん(19272016年)が書いた本、『置かれた場所で咲きなさい』は大ベストセラーになりました。「野の花」は自分で生える場所を決められません。神さまに置かれたそれぞれの場所で、精一杯に咲くのです。

 この言葉は「ラインホルト・ニーバーの祈り」(下記)に触発されたと言われます

 

  神よ、変えることのできるものについて、

それを変えるだけの勇気を我らにあたえたまえ。

変えることのできないものについては、

それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。  

  そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ。

 

 私たちが子どもたちと共に生きる環境には、「変えることのできるもの」と「変えることのできないもの」があります。変えるべきものは変える努力を真剣にするべきですが、「野の花」のように置かれた場所は変えることが出来ません。その場所で精一杯咲くのです。

 私たちをここへ置いて下さった神への「感謝と信頼と忠誠」。それが聖書の教える人生のあり方です。

 「これまでの人生は神さまからの贈り物、これからの人生は神さまへの献げ物」と言われます。

置かれた場所を感謝して、それを大切に生かしつつ、これからの歩みを神に喜ばれるものとしていきたいと思います。

                         (園長 大村 栄)