9月の聖書のことば
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
詩編23編1節(旧約聖書854ページ)
羊はとても弱い動物です。特に目が悪いそうです。近眼で近くのものしか見えないのです。だから自分の前の羊のあとにくっ着いて行こうとします。でも主なる神が羊飼いだからわたしには何も心配もありません。
山梨県立美術館にあるミレーの「羊飼い」の絵をご存じでしょう。あの絵の正式なタイトルは「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」です。
先頭をゆっくり進む羊飼いに、羊たちはぴったり着いて歩いています。前との距離が開くと近眼だから前の羊が見えなくなって、迷ってしまうからです。
「羊飼い」とは別に「牛追い」がいます。羊は黙ってついてきますが、牛は放っておくと、ちゃんと着いてこないで、どんどん遅れて、そのうち止まってしまいます。
前を行く飼い主は、牛たちは後から付いてくるだろうなんて思っていると、後ろを振り向いたら、いつの間にか一頭もいなくなっていたなんてこともあり得ます。
だから牛を飼う人は、牛たちの前に立って歩くのでなく、後ろから「さあ行け」と押してやらないといけないのです。
前から引っ張ってもらわないと駄目な羊と、後ろを押してもらわないと駄目な牛、私たちはいったいどっちでしょう?
そして子どもたちはどうでしょう。幼稚園や学校の先生や、お父さん・お母さん、周りの人たちに引っ張ってもらいたがる子どもたちか、それとも押してもらいたいか。
でも押されてもどんどん変な方に向かってしまうこともあります。だったら前からも引っ張ってもらいたい。結局、前から引っ張り、後ろから押し、両方してもらわないと駄目なのではないでしょうか。
上記の詩編の作者ダビデは続けて歌います、「主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる」。神は私たちを先頭に立って引っ張り、また一番後ろ(しんがりと言います)からも押して下さるのです。
「急いで出る必要はない、逃げ去ることもない。あなたたちの先を進むのは主であり、しんがりを守るのもイスラエルの神だから。」(イザヤ書52:12)
結局、私たち自身も、子どもたちのことも、その進む道は羊飼いであり、牛追いである方におまかせしておけば良いのです。
園長 大村 栄